barに纏わる小説【夜更けのカウンター第三部】


小説「夜更けのカウンター」

第三部 「過去と今をつなぐ夜」

 秋も深まったある晩、母娘は再び店を訪れた。
 母は少し緊張した面持ちで、娘はどこか決意を秘めた瞳をしていた。

「こんばんは、マスター」
「いらっしゃいませ。今日は……何か、大事な夜のようですね」

 二人は並んで腰を下ろす。
 母はウイスキーを、娘はホットワインを注文した。
 氷が落ちる音が、これから始まる話の前触れのように響いた。

 娘が切り出した。
「お母さん。実はね……少し調べてみたの」
 母の手が震えた。
「まさか……」
「ええ。お父さんの名前、昔の日記に書いてあったでしょう? 調べたら、まだご健在だった。もう引退してるけど、近くで暮らしているみたい」

 母はしばらく言葉を失った。
 長年、心の奥にしまってきた人物が、急に現実の姿を持ちはじめたのだ。

「会いたいの?」
 娘の問いに、母はしばらく考え、そして小さく首を振った。
「いいえ……私が会う必要はないの。もう別の人生を歩んでいる人だから。ただ……あなたがどうしても会いたいなら、止めはしないわ」

 娘は母の手を握った。
「私も迷った。でもね、今日ここで決めた。私は会わない。ただ、お母さんがどんな思いで私を育ててくれたのか、それだけ分かればいい。お父さんは遠い存在でいい」

 母の目から涙が一筋こぼれた。
「……ありがとう。本当に強い子に育ったのね」

 その瞬間、母と娘の間に長年の影が溶けていった。
 父を探す物語は、血の再会ではなく、母娘の心の再生として幕を閉じたのだ。

 マスターは静かに二人のやり取りを見守り、やがて一言だけ添えた。
「過去は変えられませんが、未来は選べますから」

 母は微笑み、グラスを掲げた。
「じゃあ未来に乾杯ね」
 娘もグラスを重ねる。
「うん、未来に」

 グラスが小さく触れ合い、澄んだ音が店に響く。
 その音は、過去を解き放ち、新しい時間を始める合図のようだった。

 夜更け、二人は肩を並べて店を後にした。
 月明かりに照らされた背中は、どこか軽やかで、希望に満ちていた。

 マスターは残されたグラスを磨きながら、小さく呟く。
「またひとつ、物語が終わった。けれど、きっと次の夜には新しい物語が始まる……」

 静かなバーには、変わらぬジャズが流れていた。

――第三部 了

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