barに纏わる小説【夜更けのカウンター第二部】


小説「夜更けのカウンター」

第二部 「母と娘の秘密」

 翌週の夜九時を回ったころ、再びあの女性が店の扉を押し開けた。
 だが、今度は一人ではなかった。彼女の隣には三十代半ばほどの女性が立っていた。大きな瞳と落ち着いた雰囲気。その表情には少し緊張がにじんでいた。

「こんばんは、マスター。今日は娘を連れてきたの」
「いらっしゃいませ。ようこそ」

 二人は並んでカウンターに腰を下ろした。
 母はいつものハイボールを。娘はグラスワインを頼む。
 照明に照らされた二人の横顔は、年齢の差こそあれど、血のつながりを映し出すように似ていた。

「お母さん、ほんとに変わったお店見つけたのね。静かで……落ち着く」
「でしょう? ここなら余計な耳もないし」

 母の声には、何かを切り出そうとする気配が漂っていた。
 娘は首を傾げる。

 やがて母は、グラスの氷を見つめながら言った。
「ねえ……あなたにずっと言えなかったことがあるの」
 娘の手が止まる。
「お父さんのこと?」

 母は小さく頷いた。
「若い頃、私は銀座で働いていてね。そこで出会った人が……あなたのお父さん。でも、その人には家庭があったの」
 娘は驚きと、どこか納得したような表情を浮かべた。

「だから、私は一人であなたを育てることにした。愛情が足りなかったかもしれないけれど、それだけは伝えておきたくて」

 沈黙が落ちる。
 店内のBGMが、静かに流れるピアノの音だけを響かせていた。

「どうして、今になって話そうと思ったの?」
「歳をとるとね……過去が急に重たくなるのよ。背負ったままじゃ、いつかあなたを傷つけると思ったの」

 娘はしばらくワインを見つめ、やがて口を開いた。
「お母さん、ありがとう。正直、少しショック。でもね……私はずっと愛されて育ったって分かってる。それで充分よ」

 母の目に涙がにじむ。
 彼女は慌てて笑顔をつくった。
「やだわ、私ったらお酒のせいね」

 娘は母の手にそっと触れた。
「ねえ、お父さんって、今どうしてるの?」
「それが分からないのよ。調べようと思えばできるのかもしれない。でも……怖いの」

 母の言葉に、娘は静かに頷いた。
 そして小さく、しかし確かに言った。
「私なら、知りたい。お母さんがどう思っても、私は知ってみたい」

 その言葉が、母の胸に重く響いた。
 長い間しまい込んできた秘密は、今まさに扉を開けようとしていた。

 その夜、二人が店を後にするとき、マスターはカウンター越しに軽く会釈をした。
 母は少し照れたように言う。
「ねえマスター、この店……不思議ね。来るたびに人生の続きを話さなきゃならない気がするわ」
「ここは物語の置き場所ですから」

 扉が閉まる。
 残された静寂の中、マスターは拭き終えたグラスを光にかざしながら呟いた。
「さて、次はどんな結末になるのか……」

――第二部 了


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